なぜベンチャーキャピタリストになったのか?—『チ。』が示す知の探求と投資の本質

「なぜベンチャーキャピタリストになったのか?」 これはよく聞かれる質問のひとつだ。これまでにもさまざまな答えを用意してきたが、最近また新たな視点を得た。それは、アニメ『チ。—地球の運動について—』の24話を見たときだった。

舞台は、まだ神が絶対であり、地動説を唱えることが命に関わるような時代。その中で、ラファウがタムマゼインについて語る。

タウマゼイン: 知的探求の探求の原始にある驚異。この世の美しさにこの世の美しさに痺れる肉体のこと。そしてその美しさに近づきたいと思う精神のこと。つまり、ん?と感じること。神がこの世界を創り、人はそれを知りたいと願った。これ以上に尊い欲望はない。

彼らは、たとえ命を懸けることになろうとも、宇宙の真理を追い求めた。それは、単なる知的好奇心ではなく、「人間が人間であるための本質的な行為」として描かれていた。

この言葉を聞いて、VCとしての仕事の本質が、自分にとってどういう意味を持つのか、改めて考えさせられた。

具体と抽象を行き来しながら「真理」に迫る

自分がVCの仕事に対して面白いと感じるのは、ビジネスやスタートアップの世界における「真理」を探求することと言い換えられるのかも知れない。

投資をする前の段階で、業界や市場の構造を研究し、さまざまなフレームワークを駆使しながら、「この分野はこういう構造になっているのではないか?」という仮説を立てる。また、ある業界に対する真理だけでなく、投資家の陥りがちな心理的バイアスや歴史的に証明されて戦略などどのビジネスにも通じうる点も多い。むしろこちらの方が多いとさえ感じる。これは、一つの抽象化のプロセスだ。

一方で、その仮説が実際に機能するのかどうかは、具体的なスタートアップを通じてしか確かめられない。だからこそ、投資をすることで仮説を社会実装し、現実世界で検証する。このプロセスの繰り返しが、VCの仕事の本質だと考えている。その背景のナラティブや思考なしにただ個々のスタートアップを見るだけでは多面的な可能性を考察することができずαと呼ばれるものを見落としがちになるだろう。だからこそファームとして個社ごとのディスカッションだけでなく、もう少しマクロ的なすり合わせをしないといけないと思う。それの最高峰がUSVだと思う。彼らはそこのすり合わせができているからこそ投資判断で投票をとったことさえないと言う。https://x.com/tmiyatake1/status/1898888280805892108

『チ。』の中で語られた「無秩序な情報に線を引くと、今まで見えていなかったものが見えてくる」という言葉もこれを象徴している。

個々のスタートアップという「点」を見ているだけでは、その先にある大きな構造(星座)は見えない。しかし、業界全体の流れや過去のパターンを抽象化しながら観察すると、「このビジネスモデルはこういう形で成長する可能性がある」という星座が浮かび上がってくる。そして、その星座が本当に存在するのかを、自分自身の手で確かめられるのがVCという仕事の醍醐味だ。

「知りたい」から始まり、「検証できる」ことでさらに面白くなる

『チ。』の中で、ラファウはアルベルトにこう語る。

「知の探究が人や社会の役に立たなければいけないなんて発想はクソだ。知りたいからやる。それだけだよ。」

この言葉は、VCの仕事の根幹にも通じる。

「知らないことを知るのが楽しい」というのは、多くの人が感じることだと思う。しかし、VCの仕事はそれだけでは終わらない。

「知る」だけでなく、それを投資を通じて社会に実装し、現実世界で検証できる。

たとえば、あるビジネスモデルが理論上はうまくいくと考えたとする。しかし、現実は複雑で、想定していた通りに進まないことも多い。だからこそ、投資を通じて「仮説が正しいかどうか」を試し、成功する要因と失敗する要因を見極めるプロセスに大きな価値がある。

この「知的欲求 → 仮説形成 → 社会実装 → 検証」というサイクルが、VCという仕事の最大の魅力なのではないかと思う。

それを人生をかけてやる人は多くない

『チ。』の世界では、多くの人が聖書の教えを疑うことなく受け入れ、地動説を知ろうとも思わなかった。しかし、その中でも、人生、それこそ命を懸けてでも「真理」を探求しようとする人たちがいた。

この構造は、現代の社会でも変わらないと思う。

流石に命まではかけることはないものの、多分VCよりももっと確率高く高い収入を得られるキャリアはあると思うが、それをせずに結果が出るまで時間もかかる長く厳しい道を進もうとすると考えるとなかなかハードルは高いと思う。